失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

あのこは貴族

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あのこは貴族 (集英社文庫(日本)) [ 山内 マリコ ]
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読みました。

地方生まれの美紀と東京生まれの華子。
アラサー女子たちの葛藤と成長を描く、山内マリコの傑作長編!

「苦労してないって、人としてダメですよね」――東京生まれの箱入り娘、華子。
「自分は、彼らの世界からあまりにも遠い、辺鄙な場所に生まれ、ただわけもわからず上京してきた、愚かでなにも持たない、まったくの部外者なのだ」――地方生まれ東京在住OL、美紀。

『あのこは貴族』

私は東京生まれだけど、華子のようなお金持ちじゃないし、生まれた場所の電話番号は03から始まらない。オークラや帝国でお茶するのは私にとっては日常じゃないし、百貨店に馴染みの店員さんなんていない。

それでも、お金の有無に関係なしに、「あのカッペが」とか「あいつはトッぽい」とか周りの大人たちは当たり前に話してた。それがいいとか悪いとかじゃなくて、とにかくそれが日常だった。

高校も家からチャリで10分っていう理由でものすごい近所を選んだし、大学も普通の都内の私大。ものすごく狭い世界をウロウロしてたわけだ。

そして、この小説でもそうだけど、大学で初めて”地方の子”っていう存在に会った。
美紀が通っていた、異常な閉塞感がむしろブランドを保っている慶應のような学校じゃないし、華子みたいな令嬢がこぞって行く、蝶よ花よと育てられるお嬢様校でもない。
色んな学科が満遍なくある、普通の4年制大学

それでも、”全く違う場所から来た人”っていう存在に、最初は衝撃を受けた。
同じ年代なのに、見てきたものや纏ってきたもの、価値観が激しく違う。遊び方も違う。
当時の自分にはそれが不思議にも、おもしろくも感じた。
実際仲良くなってしまえば、どこで生まれたかなんてことを考えることもなくただ大笑いし合って、それで毎日楽しかった。

心の奥底で「やっぱり田舎の人だから…」って思ったことがなかったか、と言われたら全くそんなことはないと思う。それは正直に告白する。
異常に尖ったメッセージや服装を好んだり、とにかく”イケてるっぽい”人たちがやってるお店に行きたがったりする行為はやっぱりダサいな、と思った。(それは今でも思ってる)

でも、私も麻布やらパリやらNYやら何やらで生まれた人たちにはきっとそう思われるのだろうし、極論、生まれる場所は選べないんだからどうしようもない。
確かに東京で生まれたことによるアドバンテージはかなりあったと思うし、文化への接触度は高かったと思う。

それでも、詰まるところ、センスとか生き方っていうのは都会だけで育まれるものにあらず。
若い頃は、そんなことわかっていても、なにくそっていう気持ちで生きることもあるかもしれないけど、結局は何を考えてきてどう生きてきたか、それがその人のセンスになるんじゃなかろうか。

ただ、これはあくまで自分の話だが、来たり住んだりしておいて、「東京なんておもしろくない」とか「東京に疲れた」とかいうのはやめてくれ。地元をそんな風に言われたら嫌だろう。

話が逸れた。

とにかく、
この小説は、どちらの女性にもそれぞれの人生や悩みがあって、それが交差し物語が生まれる。どちらかが優れているとかそういう話ではない。生まれた場所や環境が違っても、一人の人生、という点ではなにも変わらない。
一人の人間の物語でもあり、女としての闘いの物語でもある。

おもしろかった。