失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

人を嫌うこと、補足

なんでしょうね、異常にこの記事にPVがある。

まあみんなそれぞれ思うところがあるとして、補足を。

誰かを嫌いになってしまうとき、それが誰であっても、”一人で嫌う”こと、を私は大事にしてる。
徒党を組んで「私が嫌いなんだからあなたも嫌いになってよ」は非常にみっともないと思う(政治や権力に対して仲間になる、というのは別でね)。

そりゃ嫌なことや悲しいことがあって人に話すことは自然だと思うし、その結果相談された相手がどうするかはコントロールできないが、そこに口を出すのは無粋なので絶対にやらない。別に不幸を願ったりもしない。ガキじゃないんだから。

 

あと、自分にとって”ここだけは触れてくれるな”ってところを傷付けられたときは絶対にスルーしない。

f:id:nekochanchang:20211129101137j:plain

まじでこれ『花の慶次

周りがどんなに「そんなことで?」と思おうが、自分が致命的なまでに傷つけられた事実が重要なのであって、自分までそれを「そんなに大したことじゃないのかな」「大げさに捉えすぎたかな」でスルーすると本当にあとからつらくなります。

感情ってなにもかもきれいに名言化できるわけじゃないし、うまく伝えられないかもだけどさ。

お互いが思いやっていれば、それに気付いた際は真摯に謝ってくれるし、こちらがその聖域を冒してしまったときも心からきちんと謝ろうと思うので。
”本当に心から詫びたい”という気持ちは、伝わると思ってます。

 

あと、お暇がある人はこれをぜひ読んでみて欲しい。

素晴らしい記事。
これは女性の友人同士の場合だけど、どんな関係にも言えることだと思う。

今カウンセリングに関わる仕事をしてて思うのは、驚くほどみんな人間関係で悩んでる。
そして、いかに自分が”当たり前”と思ってたことがそうではないかってことも痛感した。

自戒することも自分の気持ちをブレずに持つことも簡単なことではないし、誰もがみんなふとしたことで倒れる危うさを持っていると思う。

それでもトライ&エラーを繰り返して人間は人間足り得ていくのだろう、と思うよ。

 

『過ぎ去ったことは、忘れろ。さういっても、無理かもしれぬが、 しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えてそしらぬふりをして生きているのではないのか。』
太宰治

 

誰もが、こうなんじゃないかね。