失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

なぜ勉強にこだわるのか

ちとスキンケア疲れた。

私は本当に”勉強が大事”だと思ってるんだけども。

勉強というものは、いいものだ。

代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。

何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記《あんき》している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。

学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。

勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! 

デジタル小説 - 太宰ミュージアム

失礼ながら読みやすいように勝手に改行してます。

全部太宰がここで言っちゃってるんで、これ以上のことを私が言えるわけはないんだけどもね。
本当にこの通りだと思うのよ。

 

そんでこれもこの通りなのよ。
このブログ書く意味あるのかくらい、みんなが言ってくれてる。

確かに、今って傍から見ても外見に関するみんなの基準がすごく上がってるように思う。つらいよな。
特に自分は女だから、外見次第で周りからの態度が変わる場面ていうのは嫌ってほど見てきたし感じてきた。”見た目がいい人”が得をする、というか、生きやすいのも否定できないと思う。そこは綺麗事なしに、事実だと思う。

だからこそ、若いうちにコンプレックスを解消しようと躍起になって時間もお金もそこにぶち込みたくなるよね。それは道理だよな。

けれども、”それだけ”になるのはとても危険じゃないかな。

もし、美しさをお金と同じように”対価として通用する資産”だと捉えたとして、果たして一生を終えるまで同価値であり続けられるだろうか。
どうしても、世間一般の価値観として(資産として通用させるためには世間一般の価値観と合わなければいけないのは当然)、目減りする資産ではないだろうか。

”美しい”には”若い”ことが内包されているし、逆もまた然り。
「歳取ったって綺麗な人はいます!」は、ここでは反駁にならないんですよ。なぜならマジョリティの話をしているので。

そういう相対的な美ではなくて、純粋に自分の絶対的な核として美を一番重要だと考えるなら、その限りではないけどね。

 

外見だけに尽力して中身がすっからかんだった場合、恥ずかしいとかそういうことよりも、自分がつらいと思うんだ。私は。
人生の中での”おもしろポイント”がすごく少なくなる危険があると思うの。

そして、勉強って別に何でもいいんよ。
学校の勉強は放っといても先生がちゃんと教えてくれるわけで、めちゃくちゃ効率的な勉強手段の一種だから真剣に受けといて損はないんじゃない。

興味のない話に、そのときは「なにこれ」と思っても意外とあとから効いてくるのよ。ボディブローのように。私はそういう体験を数え切れないくらいしてる。

 

そして私のおすすめの勉強法はですね。

読書です。

 

こんなに安いものが世の中にあるか?図書館行きゃタダですよ?
そこそこ読んできたほうだと思うけど、本当に人生を豊かにしてもらったと思う。それは自信を持って言える。

別になんでもいいんですよ。難しい哲学書を読め、とは全く思わない。(もちろん、読んだら読んだだけの収穫はあるが)
漫画だろうが旅行ガイドだろうが自己啓発本だろうが、読みたいものを読んだらいい。
行ったことのない場所を旅できる簡単な方法だよ。

勉強をしてきた、ということは、選択肢が増える、ということと同意義よ。

 

人生に意味なんかなくたっていい。でも、できるだけ楽しく生きたいと思うなら勉強しようとすることだ。
そんで、美容やファッションも楽しくやっていこう!要はバランスだね。

 

若者よ(まあ、年寄りもだけど)本を読むべし!
知を愛するのだ!

かつて若者だった者より。