失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

『嫌い』との付き合い方

この記事ずっとPVがすごい。
みんなそんなに嫌いな人、いるんか。まあ、それはいい。

 

でも、あれなんですってよ。

カウンセラーが言ってたが、好き嫌いに関わらず同じことや人を何度も反芻して考えると、脳が“この人は自分にとって非常に重要”と認識しちゃって、より強固な存在になるんだって。

めちゃくちゃ嫌じゃない?
嫌いだなぁ、会いたくないなぁ、ウザイなぁ、地獄に落ちないかなぁ……と思って何度も考えるうちに何よりも大きい存在になっていくという…寓話じみて怖い。
憎しみと愛は表裏一体とはよく言ったもんよ。

 

例えばさ、わたしのインスタグラムで数か月~数年に渡って毎回ストーリーズを閲覧するのに絶対にフォローはしてこない人って何人かいるのね。莫大なフォロワー数でもないのにそのくらいの期間・頻度だとさすがに気付いちゃうことあるし、偶然じゃないだろうし、下手したら毎回検索して見てるわけでしょ?その心理ってどういうことなのかな、と。
気にはなるし見逃したくないけどあなたのフォロワーになるつもりはありません、ということじゃない。

好意を持たれてるとは思いづらいよね。わざと嫌な気持ちになりたくて見てるのか、どうしてもフォローしたくない何かがあるのか。
このブログに関してもそうだが、“わざわざ行動して”、見てるわけよね。SEOよわよわのこのブログが勝手に目に入るわけないしさ。

 

もっとすごいと、著名人なんかを監視して誹謗中傷する人がいるじゃん。
そういう人ってかなりの頻度で嫌いなその著名人のことを考えるわけで、くさいくさいって言いながら何度も嗅ぐのと一緒よね。悲しい事件や高額な慰謝料払う事例が起きてもそういうのってなくならないわけで、ヘイトの気持ちって感情の中でもかなりバカでかいんじゃないかなって思ってます。
著名人に関してはわざと燃やしてる人もいるから一概には言えんけどさ。

 

なので、何となく気にくわないのレベルじゃなく、自分がもしこのヘイトの精神状態になっちゃってるかも、と思うときは早急に“無関心になる”訓練をすべきだと思います。自分のためにも。

嫌いは自分を揺さぶる強い感情だとしても(そしてたぶん少し快楽に似た感覚もありそう)、無関心はそうではないし、自分のリソースをそこに使う必要もなくなるからさ。

かと言って今日から考えない!なんてことは不可能なので、自分だったら思考癖・行動癖を積み重ねていくかな。思った以上に人間は癖で生きてるので。
まず物理的にシャットアウトできるものはすべてする。目に入れないようにする。完全な断絶が難しくてもできるだけ。そこから、考えちゃったときは思考をリセットする癖をつけて、とにかくなるべく考える時間を減らしていく。一朝一夕じゃできないもんですよ。

そうすると段々頭の中からその人の存在が消えていって、いつの日か忘却の彼方に。
そうなりゃこっちのもんよ。大成功!

 

もちろん、そんな簡単な話じゃないこともあるだろうし、対話や和解を望む場合もあるかもね。それはまた違ったアプローチになるよね。
もしくは、こんなレベルじゃ消化できないような思いやトラウマを抱えてる人もいるかも。その場合は通院と治療、カウンセリングが大事だと思うよ。

 

まあ何が言いたいかって言うと唾棄すべきような存在に時間も体力も使うことないよってこと。
別に人生を有意義に生きろとか時間を丁寧に使えなんて思わないが(大きなお世話よな)、嫌いな相手について延々考えるより、まずなんで“自分が”今そういう状態なのか一回振り返って、内省してったほうがわたしは気が楽かな~と思います。

 

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フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia

『汝の敵には軽蔑すべき敵を選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない。』

いつも気になって仕方ない相手ってのはこういう人を据えるべきでしょうな。