毎年恒例の家花見をば。
わたしはどうも、桜にワーワーいうのはなんだか苦手な節がある。
平安くらいから桜のこと特別視しすぎじゃない?なんか。
儚い儚いってまあ…騒がしい。
すぐ散るし、何とも言えない薄ピンクだし、凛々しい幹とは対照的で繊細な花弁だし…まあ、確かに。魅了されてしまうのもわかるが。
「願はくは 花の下にて春死なん その如月の 望月の頃」西行
わたしはこの歌が大好きで。
如月は2月だけど、これは旧暦なので3末くらいの歌。
西行は釈迦の入滅の日(旧暦2/15)に同じように死にたい、と言っていて、実際2/16に亡くなったそう!惜しいが、すごい。
わたしは入滅の日とかそういうのではなく、
ただ、急に風や空気のにおいが春になって、何とも言えない高揚感の中、
桜舞い散る中「思い残すことね~!」って死ねたらそらいいだろうなぁ、っていう。
そんな感じで好きな歌。
実際の花見は、酒だけ大量に買ってって、
友達のつくるご飯に舌鼓を打つだけ。
途中からは恒例のカラオケ大会になり、誰かは寝るっていう(スタンドマイクが家にあるのもやばい)。
部屋の中で焼き鳥やって煙を充満させた人もいて、すごかった……
家主の心の広さよ。
嬌声にうんざりする猫たち。
ごめんよ。
実際のところ、5分愛でたか愛でてないか、くらいの花見よ、毎年。
でも、“散ることの美しさ”を教えてくれたのは、桜だ。
『春と修羅』、読み直そう。