安楽死について調べてたんだけどさ。
- 回復の見込みがない病気の終末期で死期の直前である。
- 患者の心身に著しい苦痛・耐えがたい苦痛がある。
- 患者の心身の苦痛からの解放が目的である。
- 患者の意識が明瞭・意思表示能力があり、自発的意思で安楽死を要求している。
医師が行う。- 倫理的にも妥当な方法である。
っていうのが一応、
安楽死が国内では認められてない日本における、安楽死させても刑事責任の対象にならず有罪にならない条件、らしい。
こういうのを見ると大学時代、毎日毎日嫌ってほど考えさせられた哲学的問いが湧いてくる。
そもそも、
- 生まれることは選べないのに死は選べるのか
- 選べるとして、なぜ選べるのか
- 選べないとして、なぜ選べないのか
- 生、そして死は誰のものなのか
-
患者の意識が明瞭・意思表示能力があり、自発的意思で安楽死を要求している。
- 現状、事前に意思表示をしていない限りは混濁状態で死を望んでいても表現できないため、不可
- 脳がすべてを決定する、というベースに成り立っている話なのか(しかし、あくまでも、脳も体の一器官に過ぎないのではないか)
わたしが特に気になるのは、このあたり。
学生時代、友人が交通事故に遭った。
病室にお見舞いに行くと、意識はなく、いわゆる“植物状態”だった。
モニターから流れる断続的な心音、すすり泣くお母さんの声、どうしていいかわからないわたしたち。
激しく損傷しているようには見えず、正直、ただ眠っているようだった。
あとから聞けば、回復する見込みは0に近く、お母さんだけは延命装置を外すのを拒否してたと。他の家族は、もう、やめよう、終わりにしてあげよう、と。
家族会議の結果外すことにし、しばらくして、友人は亡くなった。
冥福を祈ると共に、深く思った。
“死は一体だれのもの?”
この場合、友人の意思を確認することは叶わなかったのだが。
世の中に自ら望んで生まれた人間なんて一人もいないわけだけど、
だからこそ望んで死んではいけない?生と死を対と考えるのであれば。
むしろ、だからこそ死くらい自分で選べるべき?
死は、対ではなく、生の延長と考える?
よく陥りがち+言われがちな思想が、“あなたの命はあなただけのものではない”ってやつ。
耳ざわりいいけど、それって本当?
『世界一キライなあなたに』という映画を見て、愛する、愛される人がいることと、
どうしても生きることがつらいので終わりにしたい、という気持ちは別に考えなきゃいかん、と思ったんだよね。
とても悲しい話だけど、前者がいるからって、後者を必ずしもやめるわけじゃない。
どうしてもどちらかを天秤にかけねばならぬとき、誰がそれを責められる?
周りにとってはつらい話だが、そこんとこの決定権は、本人しか持つべきではないのでは?
でも、そうなると色んなとこでわたしの言ってることは破綻するんだよなぁ。
いや、それを表明できるかどうか、が問題なのか?ムム。
そしてこの、いわゆる“尊厳死”と、“安楽死”の違いは、なに?
装置を外してしまえば生命は終了するという“受け身の死”と、
どんなにもがき苦しんでいても死ねない中での“希望としての死”、の間に、大きな大きな壁がある、という認識でいいんだろうか。
でも、どちらも実は99%死に近づいていた場合、どうやって判別するのだろうか。
意識のあるなし、だけが本当に正しいのだろうか。
逆に、なぜ、本人の意識がない状態での“尊厳死”は毎日当たり前に行えるんだろう。
本人に聞いたわけでもなく、回復の可能性が0%とも言い切れないのに。
本人がかわいそう、の他に、“長年面倒みられない”“治療費が払えない”でも尊厳死ができるのであれば、
医師から見てもうキツそう、という理由で安楽死ができてもなんらおかしくない気がするのだが。違うんか?
あ、これ書いてても自分の中での答えなんてないよ。
ただ、整理して組み立てたいと思ってるだけ。
(あと、これを言い出すともうキリないんでアレだが、
例えばまだ親の保護下にあるような子供で死に至るほどの自傷癖があり、それが自閉症スペクトラムの一つの症状だ、と医師が判断する場合、その自傷意思がどの部分にかかるんだろう?という疑問がある。
意思すらも病気で冒されていると見るのか、あまりに症状がつらく死にたいと思うのは正常な希望と取るのか。
勉強不足なので見当違いなことを言っていたら申し訳ないが、このあたりも気になる)
安楽死支援マシン「Sarco」がスイスで合法に - GIGAZINE
これ、前何か読んだとき液体窒素をどうやって持ち運ぶんだ?みたいなコメント見て、そういう問題もあるのか…とか朧げに思った気がするが、改良されたんかな。
痛みも苦しみもなく死ねるかどうかは入ったことある人しかわからんよな、と思いつつ。希望のマシンなのか、否か。
安全な「安楽死マシン」の運用、スイスで合法化https://t.co/w5Tao4QhAr
— ナゾロジー@科学ニュースメディア (@NazologyInfo) 2021年12月7日
豪エグジット・インターナショナルが開発した、世界初の3Dプリント製安楽死マシン「サルコ」。この装置の運用が、このほどスイスで合法化されました。薬物の代わりに窒素を使うことで、安らかな死をもたらすとのことです。 pic.twitter.com/Jd1gIgBkYz
このタイミングで、中国のきついロックダウンで人が空から降るように自殺しているっていうのを見てしまった。
正直、ウクライナのことも意図的に目に入れないように気を付けないと心が持たない。
知らなければいけないという気持ち、知っても何もできない不甲斐なさ、純粋な恐怖。
こういうニュースに対してもメンタルケアが必要だな、と今朝思った。