失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

食べものと自由

最近、猫とか犬が写っているSNSに話しかけている自分がいる。

「なに~!どしたの~かわいいねぇ~」とか言って。たぶんどうもしてない。おばあちゃんとかTV観てそんな感じだったような気がするが、その域に入ってきているということか。

とか何とか言ってたら開けちゃったよ、梅雨。びっくり。
なんだったのか、あの短さ。恐怖。

 

さてさて。
最近『BUTTER』という小説を読みました。

男たちの財産を奪い、殺害した容疑で逮捕された梶井真奈子(カジマナ)。若くも美しくもない彼女がなぜ――。週刊誌記者の町田里佳は親友の伶子の助言をもとに梶井の面会を取り付ける。フェミニストとマーガリンを嫌悪する梶井は、里佳にあることを命じる。その日以来、欲望に忠実な梶井の言動に触れるたび、里佳の内面も外見も変貌し、伶子や恋人の誠らの運命をも変えてゆく。各紙誌絶賛の社会派長編。

柚木麻子 『BUTTER』 | 新潮社

詳細は読んでいただくとして、まあ、食べ物の描写が多いこと。
しかも、読んでるだけでもウっとなりそうな濃厚なシーンばかり。

題名にもなっているバター。

もちろん話の中で重要な役目を果たしているわけだが、
昨日たまたま見直した映画『ジュリー&ジュリア』でもバターに言及するシーンが多く出てくる。

フランス料理の魅力に夢中になった主婦のジュリアは、レシピ本を執筆する。それから50年が経ったニューヨーク。作家になる夢を諦めきれない会社員のジュリーは、ひょんなきっかけからジュリアの本にある全てのレシピを作り、その様子をブログに書き綴ることを思い立つ。そんな2人の女性の運命が、時代を超えて交錯していく。

ル・コルドン・ブルーも両方に出てくるな。

バターって、“ただの食べ物”という枠からはみ出た存在だからこそ、ここまで人を惹きつけるんだろうね。
罪の暗喩と言うか、なんというか。

高価でハイカロリー。本来なら人から敬遠される要素が多いのに、その濃密さ、脳天をつくような甘い刺激、背徳感…。それらが暴力的なまでに舌から脳へ這いあがってくるあの感じ。

舌が肥えていることや、裕福な家庭に育ったことを表現する際もよく出てくるし、
「大人になったら一度一人でたっぷり食べてみたかった」みたいな言い回しも良く見る気がする。

人を振り回すような存在に、物語を見てしまうんだろうな。

 

かくいうわたし自身は、バターを多く消費するタイプではない。
トーストに塗るにしてもすごーく少ないし、料理にもあまり使わない。洋菓子も食べないし。

しいて言えばクロワッサンにはたっぷり入っててほしいな、っていうくらい。
受け止めきれないんだよね、あの豊潤さ。

 

食の衝撃、という意味では、一人暮らしのときが思い起こされる。
いつ何を食べてもいい、という当たり前のことに戸惑い、そして喜んだ。

実家でのお母さんのご飯は大好きだし、あれを超えるものは生涯ないと思う。

ただ、酒飲んで帰ってきて寝ちゃってもいいし、朝からカップラーメン食べてもいいし、よくわからない食材買ってきて失敗してもいいっていう、あの混沌としつつもやりたいことができた期間は、自分にはとても大事だったと思う。

 

まあ、今でも割と自由にやってるな。

大量のスイカジュース作ったり、

ソテーしたズッキーニだけ食べたり。

パンに味噌汁もよくやる。おいしきゃなんでもいいのだ。