失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

陰と蔭

先日約3年ぶりに祖母に会った。

認知症が進行してると聞いていたので少し心配していたものの、同じことを繰り返しはするがおおむね会話には問題なく、ひとまず胸をなでおろした次第。
もちろん同居している家族の大変さなど理解できるはずはないので、あくまで“お客さん”として会った場合の話だが。

認知症の場合の脳の構造がどうなっているのか、そのあたりに明るくはないが、ふと、いきなり学生時代のことが昨日のことのように鮮明に思い出せる瞬間があるらしい。
自分すら一昨日の記憶だって曖昧なのだから、すべてが事実通りとはいかないだろうが。

祖母は桜蔭中学校に通うために、父親に一戸建てを立ててもらい女中さんと住んでいたらしい(祖父と結婚するまではいいとこのお嬢だった)。

ちょうどTVでラグビーの試合がやっていたのもあって、彼女の学生時代の話を色々聞きながら会話に花を咲かせていたところだった。

 

新20世紀遺跡 :35 東京・水道橋 後楽園球場跡/下 [写真特集22/25] | 毎日新聞

 

父親が、ふと、「学校の名前に“蔭”という字が入っているのはなかなか日本独特だよな」とつぶやいた。

わたしは確かに、と思って。
祖母が言うには、お茶の水女子の同窓会のことをもともと櫻蔭会といい、そこから来てるみたいだということだったけど、言葉の由来自体はわからず。

蔭という字自体は、~のおかげという意味もあるし、何もマイナスなニュアンスではないんだろうが、不思議だな~と思ってたところに面白い記述を見つけた。

 

「蔭」について | 樟蔭レポート | 樟蔭LIFE

 

影を作るのは陰なんかい!
そして陰の中でも草木の陰は蔭だという。“かげ”のゲシュタルト崩壊してる、今。

桜のくさかげ、桜蔭。なかなか風流な名前だよな。
“かげ”は“かげ”でも、投影されるほうではなく、するほう。

 

“男に仕えるための訓練”ばかりだった当時の教育。
儚い花弁を持ちつつも驚くほど隆々とした幹を持つ桜が作る蔭。まだまだ表立って女が活躍!なんて言いづらかった時代の“自身のための教養”。

本当の意味は知る由もないけれど、なんとなく、その精神性に触れた気がした。