なんでこんな記事唐突に書いたのか説明するの忘れてた。
今、AIに情報を入れて絵を生成してもらうってのをTwitterのTLなんかでよく見るんだけども。
例のAIに「廃墟の神社に佇む人型のお化け」って指定して描いてもらったらのがこれ。まさか神社よりも大きい人型が出てくるとは。こんなん。もう発想の時点で勝てないわ……。#midjourney pic.twitter.com/i75ios4S53
— サイリョウ (@ryoh80) 2022年8月2日
こういうやつね。
“敵わない”的な文脈で書かれることが多いなと思ってる。
何をもって勝敗をつけるかは置いておいて、人間一人の脳では一生涯かかっても不可能な量の情報を学び、処理し、アウトプットまでできちゃうAI、とんでもないと思う。
この絵も純粋にすごいと思う。
人間が何を“怖い”と思い、“不気味”と感じるかまでお見通しなんだろうか。
これ系の絵が大量にアップされている中で「ベクシンスキーみたい」という言葉をよく目にした。
苦手な方もいると思うのでここには貼らない。
なぜそう言われるのか。ベクシンスキーは人間でありながら不気味の谷を表現できていたんだろう(ベーコンもそうだと思う)とわたしは思ってる。
AIの絵と人間の絵の差を語ろうとしたら不気味の谷現象を避けては通れない。
外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。
人間は驚くほど精緻な判断能力を持っているんだろうな。
言葉ではうまく説明できないが“何かが違う”を瞬時に感じ取り、そしてそれが危害を及ぼす可能性があると判断し不快感を覚える。
それはロボットが人間に近づこうとしてもなかなかできない部分であって、あえて作り出した部分ではない。むしろ埋めたい誤差であるはず。
けれども、その不気味の谷を描ける(アウトプットして表現できるレベルに理解している)人間もいるのだ。
見るものを不快に、不安にさせ、けれども目を逸らせない何か…
大きな差はないはずなのに、あるべきところにそれがない状態の不気味さ。
不気味の谷には生き物を生き物たらしめる何かヒントが潜んでいる。
と、思う。し、藝術には様々な種類があるが、これを表現できるのも一つの研鑽された技術だと思う。
それが故意かそうでないかは置いておいて、個人的にそれ(不気味の谷)を感じる絵描きは、ボスやブリューゲル、エルンスト、石田徹也、鴨居玲なんか。
単に不気味なだけか?まあ、いい。
不快なはずなのになぜか惹かれるという現象は多々あるように感じる。それもまた人間の不思議なところの一つだよな。
ってのを話したかった。