うろ覚えで申し訳ないが、今の若者には破滅願望がない、というニュアンスのつぶやきを目にした。
破滅願望…破滅とは…。
自分はと言えば、10~20代の頃は太宰やポロック、シドに憧れ、傍若無人でわたしを傷付けるような男と付き合い、くだらない喧嘩で悦に入り、夭折が美徳の喚き散らすような音楽に浸ってカートの服装を真似てた。
破滅というか厨二のメジャーロードというか。
一方では学校に通い課題を出し、バイトしてお金を稼ぎ、友だちと居酒屋で飲んだくれ、暖かい実家に住んで親と仲良くしているわけ。
何が言いたいかっつーと、本物の“破滅”の前ではこれは単なるパフォーマンスに過ぎず、あくまで趣向だったんだなってこと。憧れた本人たちや文化は本物でも、わたしと同一ではなかった。
零れ落ちない、心配ない、とわかっている後ろ盾があるからこそできる生活。
こんなのは戯言であって欲しいけど、本物の“破滅”が現実味を帯びてる今、わざわざ自ら破滅を演じる必要はなく、きちんと、危険でない道を進むことのほうが難しくなってるのではないか。
望まずとも破滅はもうすぐそこにいる。
そうではないことを祈るし、どうにかせねば、とも思う。
破滅は確かに美しい。しかし、