失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

寿司屋の彼

友人に誘われて、15だか16で始めたデリバリー寿司屋のバイト。
それまでも塾のお手伝いはしてたけど、初めてのちゃんとした労働。

そこで仲良くなった年上のメンズたち。
そのうちの一人とは今でもずっと繋がっているものの、彼は商社マンなのであっちこっち飛び回ってる&コロナでなかなか会えてなかった。

やっと海外渡航もそこそこできるようになって、当時のバイト仲間と久々の再会。
22年ぶり?とかの人も。
それなのに会ってない時間を感じることも全然なく、まあ~思い出話に花が咲くこと。

 

こういうのもある程度歳を取った醍醐味かもね。

 

バイトにはその彼よりも先に入社してたので、わたしのほうが年下だけど先輩というなかなかアレな状況。

彼は帰国子女で英語はペラだし高学歴だったけど、寿司屋でそんなもん役に立つはずもなく。
下っ端がやらせてもらえることと言えば、機械が作ったシャリをきれいに並べること、通称“シャリ取り”とえびの殻剥き。ちなみに炊いた米を切ることはやらせてもらえない。
そのシャリ取すら満足にできなかった彼は店長にいつも檄を飛ばされており、握り担当のわたしたちはそれを遠いところから見ていた。学歴敗北の瞬間。

シャリ取ってるだけなのにいつも背中とか顔に米粒が付いていて、美人の友人に取ってもらって喜んでいた。

 

そんな彼でも輝くときがある。
賄いの時間だ。

この寿司屋ではいくらか払うと好きに寿司を作っていいという賄いスタイルで、みんな昼は思い思いのネタで海鮮丼を作って食べていた(飽きるとホカ弁)。
彼は目を輝かせて大盛りの海鮮丼を作り、カップラーメンも買い、毎回謎の早食い競争をして一瞬で食べ終わっていた。

昨日のことのように思い出せる。

 

 

店長以外はみんな年も近くて仲良かったから、バイトなのに本当に楽しかったな。

高校ではバイトしてる人自体あまり多くなかったし、“外にも自分のいる世界があって”しかも“年上の大学生たち”という状況もかなり楽しさを後押ししたように思う。

 

勉強や部活ももちろん大事だし何をしようが勝手だけど、高校時代のバイトがわたしの人生ではかなりでかい財産になった。
この世界だけで生きなくても大丈夫なんだ、という実感はわたしを少し強くしたように思う。

 

 

そしてまあ彼らにズルズルに甘やかされて育ったわたしと友人。

お財布なんて一切出させてくれないし、お店の予約は朝飯前、彼女でもないのにあっちこっちへ連れてってくれる。失恋したといえば山の頂上までかっ飛ばしてくれる。とにかくお兄さん感が半端ない。

今の価値観とはズレてるしそれを当たり前と思っちゃいけないのはわかってる。実際それで苦労したことも無きにしも非ず。

でもシンプルにすごいな、と思うし、
なによりも尊敬するのは、わたしは実家暮らしで時給が彼より高い時代ですら、その姿勢を一貫してたこと。
そして一切の恋愛感情なしでも仲良くいられる証明になったこと(わたしは男女間の友情は絶対に成立する派です。尊敬があれば絶対に)。

だからこそ今バリバリ稼げてるのかもな~なんて思ったりする。

 

思い出エピソードは限りないのでこの辺のしとくが、お金の面では無理でも何かで恩返しできたらな~といつも思う。

そんな関係を心底ありがたいとも思う。