失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

なぜ被害者ばかりに語らせるのか

最近、マシンピラティスもやったんだった!二子玉川で。

その前に友人の菅野さん庸子ちゃんがTHE NORTH FACEで写真展やってたんで見てきた。

「Double Focus」

福島出身の二人。

どうしても震災と結び付けて考えてしまいがちだけど。激しく被災した人にとってはそれは呪縛でもあるんだろう、と。

 

同じベクトルで語っちゃダメだと思うが、前に戦争の話をしない老人について何かで読んで。「語り伝えないと!なんて言われても、思い出したくもないし話したくもない。どうしてそんなつらいことをしなきゃいけないんだ」というニュアンスのことを言っている人がいた。

雷が落ちたような衝撃を受けた。

二度とこんなことを起こさないためにも戦争を忘れちゃだめ!って子供の頃から聞かされてきて、見るに堪えない写真や映像、つらい手記を眼前に並べられてきた。

真実でもあるし、そうじゃなくもあるんだろう。

 

被害者・犠牲者に二次的な被害を強いるのは確かにおかしい。何も語りたくない人の口を開かせてはいけない。

 

なんだか、そんなことを思った展示だった。

写真自体はさりげない日常を切り取ったものばかりで、激しく大きな作品があるわけじゃない。

でも、写真て本来そういうものだよな、と思ったりもした。

 

ピュリツァー賞を撮ったベトナム戦争の女の子の写真。

センセーショナルでもあり、あれがあのときあの場所の日常でもあった、そういうこと。

展示の後飲んだラテはとてもおしかった。

 

ピラティスについては追って書く。