見た瞬間買う!って思った鈴蘭のフェイラー。可愛すぎる。やっぱりブルーも買おうかな…。
#オリジナル写真前に
「ソナチネ見たいけど、たけしの映画ってサブスクないから借りに行かないと」って言ってたのを会社の人が覚えててくれて
「今、新文芸坐でリバイバル上映してますよ」って教えてくれた。
なんていい人なんだ。
見られるだけじゃなくて映画館の大画面、音響なんてそれは行くしかないでしょ!と即チケット取って行ってきました。
20:50の回のみでも結構な混み具合。まあ、そうよね。
たけし映画って、誤解を恐れずに言えばいつも本筋は同じ。
大なり小なりアウトロー(もしくは一般的ではない)集団に属す主人公(たけし)が、トップでもなければ底辺でもない人生を生きている。
淡々とした日々の中で突如訪れる事件や仲間の死、圧倒的な喪失。
悲壮感をまといながら生死の淵に立ち続けのちに絶命する。
ただ、筋は同じなのに毎回違う物語になるのはたけしのなせるわざなんだろうと思う。
その中でもソナチネはほぼ、素のたけし像なんじゃないのかな、と思う。
映画全体に死の匂いが漂っていて、
それは死臭ではなくて、死が起こる直前の匂い、という感じ。
このときたけしは40代半ばだと思うんだけど、現代からするとかなりおっさんに見える。くたびれたおっさん。
いやもちろん、現代でも40代半ばって立派なおっさんなのよ、なんだけど悲哀をまとっているというか。
でも目付きや出で立ちに獣のようなオーラがある。それが若くも老けても見える不思議。
ソナチネがその最たるものかもしれない。でも、個人的にソナチネは温度や湿度が常に矛盾しあっているような、そんなところが印象に残る。
本当に、このコメント通り。
暑いはずの石垣島、南国特有の緩さはほとんど感じられず常に肌寒いような気がして、でもじっとりと汗をかく感じ。
周りがみんなかりゆしウェアやアロハを着る中、一人だけずっと白シャツのたけし。
進展のない日々、何もない田舎で過ぎる他愛もない生活は常にどこか悲しく、生の喜びはあまり感じられない。
死ですらも、まるでなかったかのようにサラッと描かれる。
あの、真っ赤に燃えるような朝焼け。
無言や無表情。
軽々しく人が死に、あまりの軽さにコメディのようにも感じる。
”死は重く遠いもの”と普段私たちが無意識に思っているようなことをひょいひょいっとひっくり返していく(ソナチネでは、一般人も巻き添えになって死ぬ)。
青と白、そして赤い映画だと思う。
張り詰めた空気感を加速させる久石譲の音楽。
たけしの白いシャツは、死に装束だろうか。