失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

『The Virgin Suicides』考

思いが強すぎるが故に書けない…
というか、どう書いていいかわからないことってあると思うんだけど。

 

わたしにとって映画『The Virgin Suicides』という作品は正にそういう類のものです。

 

ガーリーカルチャーの権化、ソフィア・コッポラ
わたしも多分に漏れず神のように崇拝する彼女。好きすぎて彼女が作ったブランドで働いてプレスにまでなったわけだけど。

ソフィア・コッポラが先ではなく、あくまでも『The Virgin Suicides』が先。

 

 

わたしが中3から高1になってすぐ公開されたこの作品は、いわゆるファッション誌の“カルチャーページ”で知った。

公開中に映画館に行くことは叶わず、
でも、センセーショナルなあらすじと手に収まるくらい小さい宣伝写真が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

しばらくしてVHSが出た。

高校までの通学路にTSUTAYAがあって毎日のように通っていたので、すぐに借りた。それが運命の別れ道。

 

1回目は…なんというか、呆然としたまま終わった。
そのあと、人生でも初めてだと思う。そのまま、2回目と3回目を見た。

当時、うちにはTVが1台しかなくて、親と弟が帰ってくるまでの何時間かの間、和室で3回見た。

 

たのしい、とも、おもしろい、とも、悲しいとも、つらい、とも、何とも言えない。

でも「これは、わたしの映画だ」という確信。それは揺ぎなかった。

 

若くてかわいい女の子、その姉妹、

小花柄のドレス。

モヤがかった映像、木漏れ日、キッチュなステッカー。

流行りのレコード、電話。

 

燃えるような恋、裏切り。

 

 

そして、自殺。

 

 

何もかもがわたし(わたしたち)のものだったし、15歳でそれを見たことを運命だと思った。15歳のあのときに、あの作品がリアルタイムであったことそのものが、運命。

何を言うかではなく、何を言わないか、が、あそこまで作品を昇華するのかという驚きとともに。

 

 

あの年代はどこかいつも物悲しくて、漠然とした希死念慮みたいなものをまとっていたと思う。

それが本気か、ファッションかなんてものは野暮な議論。そんなの、誰もわからない。

 

とにかく、その限定された年代の女が持つ何か、をモロに受け取ってしまったという感じだった。世界観が、ここまで自分と融合する感覚は、この先もないと思う。

 

やはりだ。

うまく書けない。

 

でも、どんな作品でも「これはわたしのことだ」と思わせたら、もうそれだけで最高なんだと思う。

 

 

なので、ソフィアのファッションやカルチャー周りのことは大好きだし
追い続けるし何か出れば買い続ける所存だけど、根幹はそこではない。自分としては。

あくまでも枝葉、という感じ。

 

もっとうまく書けるようになったら、また書いてみる。