失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

実行するということ

突然だけど。

何かを発信しようと思うとき、「完璧に仕上げないと」と思ったらいつまで経ってもできないと思う。(なんか見た)

このブログだって、間違いには気を付けたいと思うものの、内容が最高にイケてたり面白くないと公開できない、なんて思ってたら一生アップできない。
玄人目で見たら引くほど浅知恵かもしれない。昔ほどじゃないにせよ「で、その背景は?」を逐一言われてきたし気にしてきた自分からしたら「この程度の知識…この程度のレベルで…本当に外に出していいのか?」と正直思うときもある。でも、自分なりに腹落ちしてるならそれでいい。
そもそも100人中100人が納得できるものなんて作れるわけない。

だから、「まだ○○に達してないから…」って何もしない状況の人がいたら、ある程度の条件を課すのはいいとしても、一回やってみちゃったらどうだろうか。「勉強中なんです!」って堂々としてたらいい。

のちのち顔から火が出るほど恥ずかしくても、黒歴史だ…ってなっても、”自分が自分としてやってみた”事実はとても大事だと思う。

一人でもこれを楽しんでくれる人がいたらわたしはうれしいし、何より書くことで自分自身が楽しいと思えたら幸せ。
商売だったらPVやコンバージョンを気にしてテクニックや知識量で書くのも大事だと思うけど、心のためにやってるので、これは。

 

勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非あらざることを惧るが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。

中島敦 山月記

 

いいですか、厨二の教科書ともいうべき山月記にもこう書いてあるわけです。

李徴は自分の恥をさらけ出せなかったが故に虎になってしまった。人である虎榜(秀才)が獣である虎になってしまった。

 

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もし読んだことない方いたら青空文庫で読めるので、ぜひに

ここまで大げさな話ではないにせよ 笑、自分の無能さが露呈するのを怖がってる暇があったら、そんなんいいからまずやってみるべきだと思う。別に物書きに限ったことでなく。(大金が絡んだりする話は別よ、さすがに)

人がそれで笑ってようと、正々堂々目を見て意見を言ってきた奴しか相手しなきゃいいんだから。コソコソ陰口言ってる人に取り合ってる暇はないヨ。(それに、陰で言われてるうちはわかりゃしないんだから)

なかなか反応がないな、これでいいのかな、と思ってもやり続けてみる。(わたしは先日初のコメントをもらってめちゃくちゃ上がりました)

 

若者にすらそう思うんだから、歳を重ねてきた人は余計にそうだよね。もう、やんないと先がそんなにないよ!っていう。自分への戒めでもあり。

全部一気には無理でも、いつかやろうと思ってたことは着実に手を付けていこうと思ってる次第です。