失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

ドラマ録『ザ・グローリー ~輝かしき復讐~』

話題のやつ、観ましたよ~。

いや~噂に違わず面白い!
小気味良いテンポのまま1シーズン快走。あっという間に観てしまった。

あらすじの通り、学生時代のいじめのシーンがすごい。
目を逸らすくらいきついので、観終わったあとビハインドなどでつらさを緩和してました。

 

復讐ものって、ある程度わかりやすい展開じゃないとなかなかこっちも感情移入できない中、よし!来た!という爽快感のタイミングが絶妙で、これは人気出るよな~という感じ。

 

見どころは、いじめてたほうの悪役達の演技。
主人公のソン・ヘギョがうまいのはもちろんだけど、悪役ってややもするとやたらキャラ立ちばっかり考えられて現実味なかったりすることが多いじゃない。
これは絶妙に「いそう…」な人たちで違和感がない。

ドラマってさ、この“あり得る…” と “んなわけあるかい”のバランスがうまいと面白いと思ってるので、そこがお見事、という感じ。

 

ただ、このいじめ自体実際あった話を元にしているし、いじめをただのエンタメの一要素として消化していいのかというとそれは違うよね。

ここまでの壮絶な体験はそうないにしても、少なからずどこにでもいじめは存在しているし、子供特有の残酷さを思い出しもした。

 

わたしは、身体的ないじめは受けたことないけれど(先輩に殴られたとかならあるが)、小6のときクラスの女子大半に無視された期間があった。

それは本当に唐突に始まって、あれよあれよという間に自分が透明人間になったみたいだった。小6にとっての学校なんて自分の世界の90%くらいだったから、本当に悲しくて、怖くて、毎日不安で仕方なかった。初めて死にたい、と思った。

 

でもね、わたしがターゲットになる前、わたしも他の子に同じようなことしたんだよね。
自発的にはやらなくても、ターゲットになりたくないから追従する。そういうクソみたいな人間。自発だろうが金魚の糞だろうがクソはクソなわけで。

 

そうするしかなかった、と、ずっと思っていたけれど、果たしてそうだろうか。
幼い子供に正義感ある行為を貫かせるのは無理がある、そうだろうか。

人間は社会で生きる以上、群れの雰囲気を感じ取って行動しないとうまく生きられない。それができないものは淘汰されてきたんだろうし、今は社会不適合者としてのけ者にされるんだろう。

“暗黙の了解”と“自分の中の正義感”はどうやって折り合いをつけたらいいのか。

 

そもそも、なぜいじめは起こるのか。
どんなコミュニティにも起きうるのはなぜなのか。

人間の本能なのか?

 

なんて考えだしたらもう何もわからない…状態になったけど、3月にシーズン2がくるらしいので、そこまで熟考すると致します。