失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

赤は左

わたしは本当にテレビを見ないのだけれど。

それは別に格好つけてるとか見てる人を馬鹿にしてるとかそういうのではなく、自分が望んでない情報がどんどん流れてくる&ピーピーギャーギャー言ってる声が聞こえてくる状態がものすごく苦手というのが大きいです。

なので、ドキュメンタリーとか特定の番組は見るけれども。

 

この間友達同士でホテルステイをしてるときにM-1グランプリという漫才の頂点を決める的な番組がやってて、友達はお笑いが好きなので何とはなしに流してた。
そこで急に耳に飛び込んできたこのネタ↓

現代で赤が左だなんだっていう話を、しかもお笑いの番組で見ると思わなくて、びっくり。もちろん赤っていうのは左翼のことだけど、へえ、と思った。

 

f:id:nekochanchang:20211221143320j:plain

怖い表紙だなぁ

わたしの祖父はマルキストで左翼で、治安維持法で逮捕されて投獄されていたけれど、その”強い思想”ってのの正体をはっきり掴めたことがない。
不勉強っていうのが一番の要因ではあるけれど、ときには命すらも脅かすまでの思想、ってのは一体どうやって形成されるんだ、と。その強さは。

彼は戦時中、お手本のような愛国心を持っていたそうだよ。
でも、満州の地で仲良くしてた現地の子供が実はスパイで、それがバレたときに祖父の眼前で刺殺されたそう。子供だしせめて…と日本兵が目隠しをしようとしたら
「お国のために死ぬことの何が怖いものか」と言って小学生くらいの歳の子が死んでいったって。

 

愛国心”ていうのは一体何なんだ、と
深く思ったそう。
自分だってその子供だって「お国のために」と純粋に思っていた気持ち自体は同じものだったわけで。

 

右だ左だってすごく過激に描かれることが多いけれど、喧嘩腰の話ではなくてさ、
「自分はこう思っている、それは真実なんだ」という主張すら制限される世の中は、彼にとって、どんな風に見えたんだろうか。

香港の周庭さんもそうだけど、”自分の意見を主張し続けること”の大変さ、難しさ。

当たり前に守られると思ってた人権がそうじゃないのかも、という危機に瀕したとき(そしてそれがそんなに遠くないしそんなに非現実的なことではない)に自分は何を思い行動するべきなんだろうかと、このネタを見ながらぼんやり考えた。
ネタにできてるだけ、マシなのだろうか。

ぼんやりしてる場合じゃないんだけど。

 

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
寺山修司