失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

偶然は必然なのか

まったく書いてなかったこの続き。
もはやこれに続く感じでいいのかすらわからない。

卒業・入学シーズンですし、大学はいったときのことでも思い出してみるか。

いや、ここでちょっと書いてたわ。
では、勉強ってより人間関係について思い出してみる。

 

武道館での入学式のあと、それぞれのキャンパスに向かいオリエンテーションみたいのがあった気がする。

まず、一浪して日大に入る人って(学部によるが)そう多くはないわけで(同士、ごめん)、割と初手で「へぇ…一個上なんだ~」みたいな壁はちゃんとあった。
それに加えて哲学科なんて選んでるもんだから、いわゆる英文とか経営とかみたいなキャピッとした雰囲気は皆無。

おいおい大丈夫かよと内心ドキドキしてたら、優しい女たちが数人なぜか声を掛けてくれて、その子たちとは割とずっと仲良くしてる。圧倒的感謝。

 

でもその他は全然。

前も書いたが“サークルみんなで海~”とか若干夢見てたのに一切勧誘されず、確固たる意志があってサークル入ってないとかでなく、“ただサークルに入れなかった人”だったので、そういう人間関係は卒業するまで一切なかったですね。
志願してまで入る熱量はなかったし、間違ってやりサーとか入らなかったと思えばこれでよかったのかもしれない。

 

ただ、何の因果か、同じキャンパスに体育学科もあり、講義にあぶれた人が謎に哲学科の授業を受けておりそこで仲良くなった人が何人かいる。
それまでわたしにとってのスポーツって、部活かテレビで見るものくらいでそんなに興味のある分野じゃなかったんだよね。

そんな中、全国覇者とかオリンピックに出る人とかいて急にスポーツの解像度が上がって。おもしろかったなぁ。

体育学科にいる人って推薦で来てる人が多いから壊滅的に学科ができなかったりするのもおもしろかった。でもそのスポーツになるととんでもない才能を発揮する。
そういう一極集中型に会ったことなかったのでとにかく新鮮で。

 

自分は座学を頑張ってきたし、講義も座学ばっかり。
そんな中授業でも体動かして部活でも死ぬほど体動かして、っていう同じ大学生なのに生活スタイルが全然違うんだよね。
本当に強い人だと遠征とかで全然学校いなかったり。

大げさだけど「こういう生き方もあるんだなー!」ってしみじみ関心したんだよね、そのとき。
今は違うかもだけど、“結果残してりゃ座学の成績なんてあってないようなもん”みたいな学校の対応にもびっくりしたし。

 

座学はできなくとも、栄養のことや有用なストレッチ方法について異常に詳しいとか、大学生とはいえ常に勝負の世界にいる人たちなわけで、メンタル面でもすごく学ぶことが多かった。
この出会いは自分の中でも財産だと思う。

 

そんな感じで結局大学のときに仲良かったのって、地元の友だち、バイトの友だち、同じ学科の数名、体育学科数名、なぜか他のキャンパスの数名、みたいな感じ。

コロナ渦の学生で一番かわいそうだなぁと思うのは、こういう、よくわからない偶然の出会いみたいなのが根こそぎないことだろうな、と思う。
取り急ぎ必要な出会いしかない、というか。

 

今後出会いの機会自体は増えるだろうし、もちろん出会うほどいいわけじゃない。

 

でも、ある程度予測できる出会い、じゃないところにめちゃくちゃおもしろい何かが待っている場合もある。

それはまあ、死ぬまでそうだと思いたい。