失語

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬまで

『ハーブ&ドロシー』考

先日、若い友人に勧めついでに、久々に『ハーブ&ドロシー』を見ました。

初見は10年以上前、渋谷の渋谷シアター・イメージフォーラムで。

 

現代アートのコレクションが趣味である郵便局員のハーブと、図書館司書のドロシーの老夫婦。マンハッタンの小さなアパートで暮らす2人は1960年代から、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートなど、当時はまだ無名であったアーティストたちの作品を慎ましい生活を送りながらも約30年に亘って収集。毎日、夫婦でいくつかの展覧会に出かけては、アーティストとの交流を大事にしながら新しい作家を発掘し、ハーブの給料のすべてを作品購入に費やす。
二人が作品を選ぶ基準は「自分たちの給料で買えること」「1LDKのアパートに収まるサイズであること」の2点。コツコツと集めた作品は1LDKのアパートに一寸の隙間がないほど、最終的には4000点ものコレクションにまで膨れ上がる。

ドキュメンタリー「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」@渋谷シアター・イメージフォーラム | 渋谷文化プロジェクト

 

あの小さい劇場(待合室なんてものはない)が結構ギュウギュウだったのを覚えてる。

まだ大学出てからそんなに幾年も経っていない頃で、今よりも精力的に美術館やらアートショーやらを巡ったりアートブックを買い込んでいた。

やっぱりどこかしらに“アートって特別”って気持ちがある中での観賞は、静かな衝撃をもたらした。

 

あらすじは上記の通り。
市井に暮らす高齢夫婦。身なりも暮らしぶりも地味で慎ましいものだけど、とにかく病的にアートピースを買う。

すごいのが、やはりその情熱と真剣さ。

 

作品内でアーティストがインタビューに答える際「彼らはすべての作品を見ようとする」と言っていた。
若くたって膨大な数の作品を見ることはフィジカル的にもメンタル的にも容易なことではないのに、彼らはそれをやってのける。

そして、1番欲しいと思ったもの(給与で買える範囲に限るが)を買う。

 

家に帰り“どこなら置けるか”を最優先して飾る。

その一連の流れを何十年とやってきた。二人で。

 

彼らが作品を見るときの眼光は、鷹が獲物を狙う時のごとく鋭く、獰猛。
余命いくばくもなさそうな老人には決して見えない。

だからこそ、周りのアーティストの心も動かして来たんだと思う。

本気というのは、そういうものだと思う。

 

 

アートの価値がどうとか、なんていういわゆるアートワールド界での評価は彼らにとっては何の意味もなく、

自分たちが好きかどうか、それだけ。

 

結果的に価値がついて(そして家が手狭すぎて)寄贈という道を辿るわけだけど、それはあくまでも結果。世間的にはとんでもない作品が家の中に適当にゴロゴロ転がってるけど、ただそれだけ。

一生お金的な意味での価値がつかなかったとしても、彼らはそのアートと、アーティストのおかげで豊かな心で生活できていたと思う。

 

 

“好き”という気持ちは、想像以上にすごいパワーを持っている。